2015年06月08日(月)

「その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます」ヨハネ16:8



ある人が、初めて教会へ来た時に「あなたは罪人です」との説明を
受けた。何と失礼な!と、正直、ムッと来た。人一倍、真面目に、
一生懸命に生きて来たつもりだ。それがどうして?しかし、教会で
聖書の学びを続ける内に、その言葉が耳を離れず、心に留まり、
「罪人」ということを考えた。

様々な思いが巡る中で、今まで全く考える事もなく、目にも留まら
なかった、心の内側の事に思いが至った。自分は、福祉の働きをし
ていて、職場で、人々のために、身を粉にして懸命に頑張っている
と思っていた。周囲の皆にもそう思われていた。良い人であり、皆
に感謝されていた。

しかし心の内を見た時に、自分は人に良い人だと思われたい、嫌わ
れたくない、認められたい。それなら目の前の人々のためなどでな
く、自分のためではないか。人々からの賞賛は心地良い。仕事も、
自己実現できて、生き甲斐ある仕事がしたいからだ。それなら自己
満足ではないか。物腰は低く、決して表には出さないが、しかし心
の中では人々を見下している自分、自分が正しいと常に思っている
自分。

御言葉を学ぶ中で、御霊の光が来て、自己中心、高慢、プライド、
虚栄心が示された。御霊の光が無ければ、罪は決してわからない。
こんな事、誰でもしている。当たり前であり、何が悪いのかわから
ない。罪がわかること自体が大きな恵みであり、御霊が力強く働い
て下さっている証拠だ。感謝なことだ。
------------
正しいことをしたいとの思いがいつの間にか自分の義を誇りたいに
微妙にすり替わってしまう。それのどこが悪いのか・・外側を造ら
れた方は、内側も造られ、それを清めるようにといつも御霊様によ
り示してくださる。