2015年07月07日(火)

「悪いことをする者は光を憎み、その行ないが明るみに出されるこ とを恐れ、光のほうに来ない。しかし、真理を行なう者は、光のほ うに来る」ヨハネ3:20 



ある人が、隣家の主婦と辛い関係にあった。何かにつけて、言葉は
きつく、とげを感じる。いろんな事に関して、はっきりと言われ、
傷つくこともしばしばだった。隣なので逃げることも出来ず、顔を
合わせるのがしんどい日々だった。

しかし自分はクリスチャンなので、相手のどのような態度にも、礼
儀正しく、丁重に接するよう努力した。何とか良い関係をと祈り、
努力するのだが、返って傷ついてしまい、ますます落ち込んだ。辛
くて涙ながらに祈る日々が続いたが、そんな折り、夫に転勤辞令が
出た。突然の思ってもみない事だった。

引っ越し業者に荷物を頼み、自分は列車で向かった。様々な思いが
巡り、祈りつつ、今までの事を思い起こしていた。苦しい状況は変
わったのに、自分の心は何か晴れなかった。そんな中で、御霊の光
が臨んだ。相手が問題で、相手がきつい人で、自分は被害者だとず
っと思っていた。しかし、問題は実は自分で、初対面の時から、相
手を拒否し、決して心開かず、受け入れていなかったのだとわかっ
た。

自分が心頑なにし、相手を裁きの目で見ていたと。相手が悪いとし
か見えなかった。その裏にある自分の内側など全く気づかなかった。
悔い改めの祈りをした。その時、初めて心がすっきり晴れやかにな
り、平安が来た。相手の陰にある、自分の内側を御霊は照らし出さ
れ、正しく導かれる。

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御霊によらなければ、自分で自分の心はわからない。御霊の光によ
って初めて、自分の姿を知る。御霊により正しく導かれる時に、心
がすっきりする。平安になる。その度にいつも主の十字架がこのた
めであったとわかる。更に主に近づけ、愛を知る。