2015年08月08日(土)

「いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わ たしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです」 ヨハネ6:63

                     
      
信仰人生で、様々な試練を経験する。ある時には、次から次へと臨
んで来る。ある人は、今まで一生懸命に建て上げて来たものが、崩
れるという厳しい試練が臨んだ。落ち込んだまま、体調も崩し、な
かなか立ち上がれず、うつ症状に陥った。休息を取り、伏せってい
た。聖書を読んだり、祈ることもできず、何も考えられず、ぼおっ
〜とした状態で日々を過ごしていた。

そんな日々を重ねる内に、少しづつ心身が落ち着いて行った。信仰
者である子供も心配し、デボーションの本などを渡してくれた。数
ヶ月経た頃、段々気持ちも落ち着いて、聖書を読んでみようと思え
た。

すると、今まで全く何も感じられなかった心に、「あなたがたの父
なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なもの
を知っておられる・・」との御言葉が語られ、響いて来た。主が、今
までの状況も、心の内も何もかもをご存じで、ご計画があり、今後
も導いて下さると信じることができた。

そして、「だから、こう祈りなさい・・御名があがめられますよう
に」。これらの事もすべて益とされて、御名が崇められるようにし
て下さると、信仰が与えられた。主からの、いのちの言葉が臨んだ
時に、再び立ち上がることができた。回復が与えられ、新しい力が
湧いて、再び建て直し、建て上げるために主に在って労苦して行け
た。

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主が話して下さることばは、霊でありいのちだ。主のひとことがあ
れば、どんな中でも生きて行ける。そのことばには力があり、かが
んでいる者が起こされる。萎えた者に気力を与え、立ち上がらせて
くれる。「ただ、おことばをいただかせてください」と祈り求めよ
う。