2015年12月08日(火) 「しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません」ガラテヤ5:18
「しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません」ガラテヤ5:18
私たちは新生した時に、二つの性質を持つ。御霊による新しい性質 と生まれつきの肉の性質だ。この二つの性質は、対抗し戦う。相容 れない。生まれつきの根深い肉の欲求が、欲望を刺激し、湧き立た せる。そのため御霊に従って歩めないようにする。肉の欲望に飲み 込まれてしまうと、肉に振り回され、どんどん御霊に従う事から離 れて行ってしまう。 新しい性質は御霊に従いたい。新しい性質は罪を悲しみ、主を喜ば せたいと願う。主の栄光が現れる事を喜ぶ。肉は、争い、妬み、憎 しみ、ギャンブル、泥酔のような不道徳な表われ方をする場合もあ るが、これはストレートでわかりやすい。だが、律法主義で表れる 場合もある。自分の力で律法を行なえると思い、行なおうと懸命に 頑張る。 又、神を喜ばせようと、自分の力で仕える。これも肉だ。自分の力 でやればやるほど、ますます高慢になってしまう。むしろ自我が太 ってしまう。主に仕える事で、妬みや裁きや競争が生じて来る。反 対方向へ向かってしまう。そして、この肉は御霊に逆らい、御霊は 肉に逆らう。二つが互いに対立していて、自分のしたい事をするこ とができないと。 どうすれば良いのか。「御霊によって歩め。そうすれば、決して肉 の欲望を満足させるようなことはない」と。自分の力では、真に従 う事が不可能と認めて、御霊に頼ることだ。自分を明け渡して、御 霊に拠り頼む時に、御霊によって主に従って行ける。そしてそこに は愛、喜び、平安があり、優しさや柔和さがある。 -------------- 肉の欲望丸出しで競いあい挑みあう世にあって、御霊様が与えられ ていることは感謝だ。足りない者でも御心へ歩みを向けたいと思う なら、必ず御霊様は導いてくださる。信頼し主にある自由を喜びた い。