2016年01月08日(金)

「主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる」詩篇37:4



私たちは日々、何を喜びとして生活を送っているだろう?「何を喜
びとして」は、「何を求めて」に表れる。仕事が生きがい、趣味が
喜び、名誉、地位、人からの賞賛を求めるだろうか。家族や、愛す
る人が喜び、富、楽しい生活・・人によって様々だ。それぞれは、
それ自体が悪いのではない。優先順位の問題だ。

まず主ご自身を喜びとして、主を第一として行く時に、仕事も、趣
味も富も、生活の楽しみも正しい場所に置かれて行く。そして、主
を喜ぶ事に心を向け、主を第一として行く時に、心の願いを叶えて
下さると。主を第一にして行く時、主の栄光を求めて生きて行く時、
動機が変えられて行く。

ある宣教師は、懸命に力を尽くして宣教活動をし、人々が集まれば
喜び、人が来なければ、がっくり落胆した。成果があれば喜び、成
果が無ければひどく失望する。そして宣教は非常に困難であり、失
望の方が大きい。しかし、これなら宣教の成果に一喜一憂し、アッ
プダウンし、成果を喜びとしているのであり、主を喜びとしている
のでは無いことに気づかされた。

主ではなく、主が下さるものを喜びとしている。それなら、願い通
りにならない時、必ず失望するし、不満に思う。成果でなく、主が
与えて下さるものでなく、主ご自身を喜びとして行く時、状況や結
果がどうであれ、変わる事のない喜びがある。主以外のものを拠り
所としていないだろうか。
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主が下さる自分にとっての良いものにより、主に感謝をしているこ
とに気付かされる。主が与えてくれる糧、評価、安定と。全て取ら
れてもヨブのように主を褒め讃えて行けるだろうか。