2016年11月07日(月)

「『あなたに言う。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい』と言われた」マルコ2:11




中風の人が、四人の人にかつがれて、主のみもとに連れて来られた。
大勢の群衆のために戸口から入ることができず、彼らは何と主がお
られるあたりの屋根をはがして、寝かせたままその床をつり下ろし
た。すると、主はこの中風の人に、「子よ。あなたの罪は赦されま
した」と、まず罪の赦しを与え、その後、中風をいやされた。私た
ちはどうだろう。

人間的には、とにかく病気は治して欲しいし、経済的必要は与えて
欲しい。受験は合格で、畑は豊作にしてもらいたい。現実の目の前
の生活が、うまく行けばそれで良い。順調に行くこと、問題の無い
ことが心からの願いだ。目に見えない罪の赦しなど関心が無い。ど
うでもよい。家内安全、商売繁盛、無病息災、五穀豊穣、それが欲
しい。

求めている事は、この世での快適な生活だ。しかし、病気はいやさ
れても、また病気になる。そしていつか必ず死ぬ。最も大事な事は、
罪が赦されて、神との交わりに生きることだ。そしてそれこそが最
大の喜びだ。律法学者が心の内で、神以外に、誰が罪を赦す事など
出来ようと、つぶやいた。

罪が赦される事は目に見えない。しかし中風の癒しは目に見える。
確固としたものだ。主は、中風の人を癒す事によって、その癒しを
通して、主こそが罪を赦す権威を持っていること、メシヤであるこ
とを明らかにされた。
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降りかかるいろいろな災いが良くなることに望みをかけるが、たと
え思い通りでなくても罪を赦す権威を持っておられる方により頼ん
で生きる信仰を与えられた。死を超えた希望を与えられた。