2016年12月08日(木)

「イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。『信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか』」マタイ14:31


おぼれかけたペテロは、ベテラン漁師で、泳ぎは達者なはずだ。し
かし主から目を離した途端、大きく動揺して、沈みかけた。だが、
すぐに、主は彼をつかんで、助けられた。そして「信仰の薄い人だ
な。なぜ疑うのか」と。私たちも、すぐに疑ってしまうだろうか。

今、目の前の対人関係の問題、経済的必要、仕事の悩み、あの事、
この事・・主から目を離し、疑ってしまっているので平安が無い。
「なぜ疑うのか」との、主の御声を聞こう。目の前の状況に飲み込
まれてしまい、状況だけが見えて、主と、御言葉に立てなくなって
しまう。主を信頼することができなくなっているだろうか。

サタンの攻撃は凄まじく、すぐに世の価値観に流されてしまう。見
えるところしか、見えなくなってしまう。すると不安でたまらず、
思い煩いにさいなまれる事になる。しかし、ペテロが「主よ助けて
下さい」と叫んだ時に、「すぐに」手を伸ばし、つかんで下さった。
すぐに疑ってしまうが、信仰薄いが、あるがまま愛しているよと。

どんな時も、主は変わらない愛で、私たちを愛して下さっている。
そんな私たちの手を取りながら、主の似姿へと一歩一歩成長させて
行って下さる。今、信仰がダウンしているなら、「なぜ疑うのか」
と、「疑い」に気づくことができるまた。一歩成長の機会だ。しっ
かりつかんでいて下さる主を覚え、主への信頼を取り戻し、従って
行こう。
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目に見える現実はいつも主の祝福やご臨在から離そうとする。信仰
の一歩を踏み出しても、本当に大丈夫だろうかと御言葉の確信を疑
う心が出てくる。そんな弱さを覚えいつも主を心に向けていよう。