2017年01月08日(日)

「サライの女奴隷ハガル。あなたはどこから来て、どこへ行くの か」創世記16:8


アブラムとサライは主の約束を待てずに、女奴隷ハガルにより子供
を得ようとした。しかしハガルはみごもった時、高慢になり、女主
人を見下げるようになった。それに激怒のサライは、ハガルをいじ
めたので、ハガルは余りにも辛く逃げ去った。一人寂しく、荒野の
泉のほとりにいた時に、主の使いが現われた。

「サライの女奴隷ハガル」と、明確にサライの奴隷である現実を見
せ「あなたはどこから来て。どこへ行くのか」と語りかけた。ハガ
ルは居場所を失い、自分を見失ない、行き詰まっていた。「女主人
から逃げている」と答えた。辛さから逃げたいばかりだった。

すると「あなたの女主人のもとに帰って、彼女のもとで身を低くせ
よ」と。ハガルはサライの奴隷なので、戻って、へりくだって、女
主人に仕えることが、ハガイのなすべき事だった。一番したくない、
嫌な事であるが、しかし実はハガイにとって、それが一番幸せで、
平安の道だ。

自分の遣わされた場所から逃げても、真の解放感はなく平安も無い。
私たちも自分を見失ない、行き詰まる時は、主と出会う事により自
分を取り戻せる。又どのような主人であれ、見下げることは、御心
ではない。私たちも、相手に関係なく、自分は、主との関係におい
て、御心に歩むなら、どのような状況であれ、心は平安だ。

主が平安を与えて下さるからだ。そして主はハガルをも心にかけ、
「あなたの子孫は、わたしが大いにふやすので、数えきれないほど
になる」と祝福を約束された。自分に語りかけられた神と出会い、
恵みを受けたハガルはサライのもとに戻った。

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主の方からハガルを見つけられた。ハガルは主が、ハガルを愛し、
あわれんでいて下さる事がわかったから、女主人のもとへ帰れた。
自分を見失っていたハガルが、自分のおるべき場所がわかった。私
たちも自分を見失う時、主だけが、おるべき場所へと導いて下さる。