2017年02月05日(日)

「しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなた のために祈りました。だから、あなたは、立ち直ったら、兄弟たち を力づけてやりなさい」ルカ22:22



ペテロは、鶏の声を聞いた時、以前、主に言われた言葉に思い至り、
主を否んだ罪を自覚し、心底悔いた。男泣きに泣いた。私たちは失
敗する。弱さのゆえにどうしても失敗してしまう。失敗しない人は
いない。しかし、そこで、罪を認め、悔い改めるなら、大きく成長
して行く。

それで終わりなのではない。主のあわれみは尽きず、主は豊かに赦
し、尚も、その事をも益として下さる。失敗を通して、私たちはへ
りくだる。へりくだらざるを得ない。高ぶっていることができない。
自分の愚かさに、恥ずかしく、ただただへりくだるのみだ。ペテロ
は自分の弱さを知らなかった。主に、命をかけて従って行けると自
信満々だった。そう思っていた。

そのところを、主は取り扱われた。自分の強い思いと、自分の力だ
った。ペテロはそこを砕かれた。自信は砕け散った。そしてその砕
かれたペテロが用いられた。ペテロは聖霊に満たされて、今度は自
分の力でなく、力強い聖霊の力によって、主の働きを成し遂げて行
った。

驚くばかりにペテロは変えられた。私たちも失敗してしまう。しか
しそこで悔い改めるなら、その失敗は私たちを謙遜にする。失敗が
問題なのでなく、その後、どのように生きて行くかが問題だ。主は
罪赦し、再び立ち直らせて、立ち上がらせて下さる。私たちは、赦
されて赦されて生きて行く。

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不注意なミス、良かれと思った事の失敗、気づかずにした過失、何
度も経験する。失敗してしまう。しかし悔い改めて、そこから学べ
と言われる。主の愛は変わらずあわれみは尽きない。主に在るなら
失敗は終わりでなく、そこに多くの学びと恵みを見い出す事とされ
る。