2017年05月08日(月) 「あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです」創世記3:12
「あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです」創世記3:12
私たちの日常で、状況的に、様々な問題が起きる。目の前に起きて いる苦しい問題に、心は奪われ、右往左往する。何とかしなくては、 対応策はと、あれこれ思い悩み、心痛み、思い煩いにおそわれる。 とにかくどうにかしようと、立ち騒ぎ、ああでもない、こうでもな い、あれやこれやと煩い考える。 そして、だいたいその場合、自分は被害者だと思っている。「何で、 自分はこんなひどい待遇に会うのか」「この職場が悪かったのだ。 違う職場であれば・・」「何で、あの人と出会ったのか。あの人の ためにこんな苦しみに会っている」「何で、自分はこういう生い立 ちなのか」、職場が、親が、周囲が、環境が・・悪いとしか見えな い。 悪い態度を取る相手が悪い。自分を怒らせるような事を言ったから、 自分は怒ったのであって、自分は悪くない。言い訳は幾らでも出て 来て、どこまでも自分を正当化して行くので、罪が見えない。自分 は正しいのだから、罪は無い。アダムとエバは罪を犯した後、アダ ムは自分のせいではない、エバが悪いと、エバは自分が悪いのでな く、蛇が悪いと、自分を正当化して行った。 肉に、根深く巣くう自己正当化、自分の内にないだろうか。肉は、 罪を認めたくない。そのため、無意識にもはまって行ってしまう。 御霊が気づかせて下さるように祈っていよう。罪を認め、赦しを受 け取る時の、平安と喜びは何にも代えられない。 --------------- 言い訳は次々と出てくるが、自分の内に神の言葉よりサタンの言葉 が好ましく、しっかり選んでいった罪がないだろうか。うやむやに したいが、赦そうと声をかけてくださる神に応答しよう。