2017年06月07日(水)

「あなたが、このことをなし、あなたの子、あなたのひとり子を惜しまなかったから、わたしは確かにあなたを大いに祝福し・・」創世記22:16


アブラハムは、神が約束されたイサクを得るために、25年待った。
長い歳月だ。イサクを得たのは、アブラハム100歳、サラ90歳の時
だった。忍耐に次ぐ忍耐の末だった。しかし彼らも人間で、私たち
と同じ弱さを持ち、数々の失敗があった。子供が授かる気配が無い
ので、待ちきれずに、信仰によらず、自分たちの思いで、奴隷ハガ
ルによりイシマエルを得た。

ここで大きな失敗をしてしまった。しかしアブラハムは信仰の人と
して名を連ね、賞賛を受けている。愛する子イサクを献げるように
との厳しい試練が臨んだ時に「翌朝早く」、アブラハムは、「すぐ
に」主に従順に従った。その彼に神は「あなたが、この事をなし、
ひとり子を惜しまなかったから、確かにあなたを祝福し」と神から
大いなる祝福を受けた。

だが、極めて苦しい試みであった。25年も待ち望んだ最愛の我が子
だ。そして、このイサクから子孫が大いに増え広がるという約束は
どうなるのか。イサクが「いけにえの羊はどこに」と聞いた時に、
彼は「神が備えて下さる」と答えた。彼は全く神を信頼した。しか
し、いよいよイサクをいけにえとし、刀を振り下ろす瞬間に止めら
れた。

そこには代わりの羊が用意されていた。これは彼も知らなかった事
だった。私たちも先は見えず、明日はわからない。しかし主は私た
ちの先をご存じだ。どんな試練の時でも、一歩〃この主に信頼して
歩む時、信仰人生で、絶えず「主の山の上に備えあり」を経験して
行く。
---------------
必ず祝福してくださると信じて山を登って行くも、いけにえの羊は
刀を振り下ろす瞬間まで現われなかった。何という試みだろう。自
分の思い込みでの期待や落胆は捨て、一歩一歩の信頼を学ばさ
れる。