2017年09月07日(木) 「あなたがたもそれぞれ、心から兄弟を赦さないなら、天の私の父も、あなたがたに、このようになさるのです」マタイ18:35
「あなたがたもそれぞれ、心から兄弟を赦さないなら、天の私の父も、あなたがたに、このようになさるのです」マタイ18:35
王がAに6000億を貸していた。清算の時が来たが、Aは返済不 能で、ひたすら懇願するので、王はかわいそうに思い、赦してやっ た。そして6000億の借金を全額免除にした。そのAが出て行く と、Bに出会った。AはBに100万貸していた。ところがBも1 00万を返済できず、Aに懇願した。返すから、もう少し待ってく れと。しかしAは赦さず、Bを牢に投げ入れた。 心を痛めた仲間たちは、事の次第を王に報告した。すると、王は怒 って、Aを借金を全額返すまで、投獄した。せっかく免除された借 金が、自分に負債のある者を赦さなかったばかりに、また返って来 た。免除された6000億は、そのままでなく、王が肩代わりし、 その負債を負う事になるのだ。 何という王のあわれみだろう。測り知れない莫大なあわれみを受け ているのに、人をあわれむ事ができない。どこまでも自己中心で、 これが人間の姿であり、罪の性質だ。自分は神に赦されているのに、 人を赦す事ができない。二つの道がある。決して自分を変えないで、 そういうものだと、誰でもそうだと、根に恨みと憎しみを持ったま ま生きて行くか。 そうではなく、自分が変えられて、神に喜ばれる道、栄光が現わさ れる道へ向かうか。今、岐路に立っているだろうか。自分にはでき ない。しかし、神には可能だ。神は赦す力を与えて下さる。このま まか、新たに信仰に前進するのか。選択にかかっている。 ------------ 湧き上がる怒りで相手ばかりを見るのではなく、主は何と言われて いるかに自分の心を合わせていきたい。自分も莫大な負債を払いき れない者で、限りなく赦されている。