2018年04月07日(土) 「また、祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。 彼らは、人に見られたくて・・」マタイ6:5
「また、祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。 彼らは、人に見られたくて・・」マタイ6:5
偽善者のようであってはいけないと言われた。「偽善者」とは「役 者、俳優」の意味だ。偽善者=俳優で、つまり演技をする者の事だ。 俳優は何をするのだろう。脚本家が書いた脚本の通りに、その人物 を「演じる」。監督が指示し、演技指導し、俳優はその人物を、監 督の指示通り演ずる。それをいかに巧く演じるかで評価される。 その人物になりきる事が勝負だ。だが、俳優の場合は、はっきりし ている。それは本人ではなく別人だ。自分では無いとわかっている。 偽善者とは、別人を演技する事だ。私たちもしてしまう。それは 「人に見られたくて」とあり、人の賞賛を得たいがためだ。 ある人が親に隠れて非行に走っていた。親の前では真面目な良い子、 裏では非行ざんまい、しかし完璧に顔を使い分けていた。親を見事 に欺き、演じ続けた。しかしそうしている内に、どちらが真の自分 か、本当に自分でもわからなくなってしまったと。演技をし、人を 欺いていた、その欺きが自分に向かい、自分が自分に欺かれてわか らなくなってしまう。 自分は良い人だと信じ込む。これが偽善の最も恐ろしいところだ。 信仰に偽りが入り込むと、信仰自体が成り立たなくなり、信仰の破 船に会ってしまう。御霊が偽善を示そうとされると、拒否してしま う事になる。「罪は無いという言うなら、自分を欺いており、真理 は私たちの内にない」。御前に正直でいよう。御前では決して良い 子にならず、あるがままの気持ちを告げて行こう。偽善から守られ る。 ・・・・・・・・・・・ 良い人の演技を続けていると、人にほめられ、人から良い人だと言 われ続ける。いつしか自分が自分を良い人だと信じ込む。偽善の結 果だ。信仰に偽りが入ると、破船してしまう。信仰が成り立たない。 主の御前に正直でいよう。あるがままを愛されている事がますます わかる。