2018年06月07日(木)

「その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える」詩篇1:2



広大な砂漠が続く中に、川があり、水がある。そしてその川のそば
には緑豊かな木々が生え、みずみずしい葉が生き生きと息をしてい
る。砂漠の日照りのまっただ中において、水路のそばに植わった木
々は青々と葉を茂らせている。「水路のそばに植わった」がキイワ
ードだ。

どのような苦しい悲しい試練の嵐の中でも、その木は青々と茂り、
決して枯れない。なぜなら「水路のそば」に植わっているからだ。
水路から絶えず水分を吸い上げ、十分に回り、葉を瑞々しく茂らせ
て行く。「その葉は枯れない」。木の問題でなく、どこに植わって
いるかの問題だ。

同様に私達も水路のそばに植えられた木だ。常に豊かないのちが水
路から流れて来る。御言葉に根ざして、御言葉を喜びとし、御言葉
を絶えず口ずさむ。そこから力と喜びが湧き出て、それによって生
き生きと生かされて行く。「何をしても栄える」のは、商売繁盛と
か、五穀豊穣、無病息災、家内安全といった御利益ではない。

何でも自分の思い通り、願い通りになるのではない。御言葉を喜び
とする人の願いは、神によってきよめられて行き、軌道修正されな
がら、御心へと導かれて行くので、神のお心にかなった願いを願っ
て行くようにされる。それゆえそれは叶えられる。人生に神の御心
を求めて行くから、豊かに祝福されて行く。

結局、人生の土台を何にするかだ。主の教えか、自分のはかりごと
か。主に頼るのか、自分の力に頼るのかだ。気づきを与えられつつ、
主を見上げて、拠り頼んで行こう。すでに水路のそばに植えられて
いるのだから。
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尽きることのない流れから豊かな養分を受けて育つ木のように主は
御霊によって私たちを大きく青々と成長させて下さる。朝に夕にそ
の教えを口ずさもう。