2018年08月08日(水)

「仕事に取りかかれ。わたしがあなたがたとともにいるからだ。ー主の御告げー」ハガイ2:4



信仰生活で、神の「時」と、神の「みこころ」は、非常に大切な事
柄だ。すべての事に、美しい「神の時」がある。そして同時に、神
は、私達一人一人に、「みこころ」を持っておられる。宮の再建が
中断したままであったが、民は、まだ今でなくてもよいからと、都
合の良い言い訳をしていた。

しかし、その本心は、主のことが第一なのではなく、自分の事と自
分の家の事で忙しく、それが第一であり、主の宮の事まで、時間も
労力も無かった。手が回らなかったのだ。自分の好きな事は快適で
あり、心地良く、幾らでもできる。時間も労力も財も幾らでも割け
る。全く苦にならないのだ。

自分の好きな事、自己実現の生きがいや仕事や趣味・・一見合法的
で、悪い事ではなく、罪でないので、没頭していて全く気づかなか
ったりする。幾らでも労力を注げる。しかし、現に神の時が来てい
た。宮を建てよ、栄光を現わすと言われる。仕事に取りかかれと。
あなたに何かの神のみこころを示しておられるだろうか。自分の事
に夢中で、見ようとしていないだろうか。

中断したままの事があるだろうか。うすうす気づいていて、心で言
い訳し、弁解している事はどうだろう。今、示されている事がある
なら、その御心に取りかかろう。「山に登り、木を運んで来て、宮
を建てよ。そうすれば、わたしはそれを喜び、わたしの栄光を現わ
そう」と言われている。
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神の時が示されているのに「自分の生活のために走り回っていた」
なら、それは期待したような成果はなかったとある。今せよと言わ
れる事を悟り、逃げずに従おう。