2018年09月07日(金)

「あなたが主のことばを退けたので、主もまたあなたを王位から退けた」Tサムエル15:23



サムエルは、アマレクとの戦いで、サウルに主の命令を告げた「行
って、アマレクを打ち、そのすべてのものを聖絶せよ」。しかし、
サウルは、命令に従わず、最も良いものを惜しみ、つまらない値打
ちのないものだけを聖絶した。サムエルは「あなたが主の言葉を退
けたので、主もあなたを王位から退けた」と告げた。

するとサウルは「私は罪を犯した。しかし私の民と長老とイスラエ
ルの前で私の面目を立てて下さい」と願った。サウルの悔い改めは、
面目を立てるための悔い改めであった。神に対して罪を犯したゆえ
の悔い改めではなく、罪を犯す=人前で面目を失うという意識だっ
た。これは悔い改めではないので、神との関係の修復にはならなか
った。

「主もサウルをイスラエルの王としたことを悔やまれた」。私たち
はどうだろう。真に御霊により罪を示された時、悔い改めが起こる。
御霊からの悔い改めだ。その時、人など思いも及ばない。自分と神
との関係の中だけにいる。悔いくずおれる。自分の面目など入る余
地も無い。人も体面等も関係なく、ただ自分の罪だけが見える。

その罪は、悔い改めにより主の十字架の血潮によって赦され、きよ
められる。真の悔い改めだ。神との関係が修復され、平安と喜びが
戻る。世の悲しみ=結果が悪かったという、単なる後悔は死をもた
らし、真の悔い改めは救いをもたらす。
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人前の失敗によるのではなく、御霊によって罪が示され、主に赦さ
れることが本当の幸いだ。悔い改めてまた御霊の実を結んでいける。
今、罪が見えているだろうか。主の示しを受け取ろう。