2018年10月07日(日)

「そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にし ます」ヨハネ8:32



ある人には、不幸な生い立ちがあり、確かに父親に非があった。酒
やギャンブルに手を出し、家族に暴力を振るった。そんな父親を非
常に憎んでいた。憎むべき多くの理由があったし、自分は被害者で、
どう見ても、父親が悪いとしか見えなかった。そんな親を赦すこと
ができず、心は憎しみでいっぱいだった。

そんな中、主に出会い、主を信じる事ができた。そして聖書の学び
を続けていると、ある時、御霊に示された。父親自身に間違いがあ
り、問題があり、父親から多くの傷を受けたが、自分が父親を「憎
んでいること」は、どんなに言い訳しても、それは自分の罪なのだ
と。相手が悪いと自分を正当化したいし、しかし正当化しようとも、
紛れもなく自分の罪なのだと。

父親の罪は、父親と神との関係であり、それは自分のあずかり知る
ところではない。しかし自分は、自分と神との関係において責任が
あり、それが罪である事がはっきりとわかった。そのため、それを
認めて告白し、神の御前に悔い改めた。

その時、心の中の重い大きな鉛のようなかたまりが溶けて行くよう
に感じた。心が落ち着いて、安堵が広がった。確かに相手が悪く、
自分が被害者である時、自分の心の部分が隠れて見えなくなってし
まう。しかし、主はいつも私たちを愛して下さっているので、自由
にし、解き放ち、平安にしようと働きかけて下さる。

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被害者である時に、見えにくくなる。相手が悪い時、憎しみが正当
化されて隠れてしまう。苦しいので、相手のせいと、ますます憎む
事になる。実は、主と自分の関係において平安が無いから苦しい。
人は関係無い。主が正しく導いて下さるよう祈れる事が感謝だ。