2018年11月07日(水)

「もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです」ローマ8:13


人は自分の非を認めたくないものだ。心には、二人の自分がいる。
そして、あらがい戦っている。一人は「人がどうであれ、罪を犯し
たのは自分だ。自分の罪だ」と言う。しかしもう一人は言い訳し、
弁解し、あれこれ理屈をつける。「相手が悪い。相手のせいで、自
分はこのようにした。相手がそうしなかったら、自分はしていない。

自分は悪くない。それに自分は疲れていた」自分を正当化し、罪を
認めない。一人の自分の内に、異なった二人の自分がいる。罪を認
める自分と認めない自分だ。しかしどんな中でも、神に従って行こ
うとの思いがある時、神は強情な思いを砕いて、悔い改めへと導い
て下さる。人は本音では、罪がわかっている。しかし自我があり、
素直に認められない。

人に注意されたらどうだろう。わかっていても、ムッとなる。言わ
れるとプライドが傷つき、反発心が湧き、心を頑なにする。自分の
内の古い人であり自我だ。しかし、それではいけないとの思いもあ
る。内の新しい人だ。肉が改良されて霊になるのではない。肉はど
こまでも肉、霊は霊だ。

「肉によって生まれた者は肉。御霊によって生まれた者は霊」の通
りに。私たちは、この二つの間にあって選択している。肉を選ぶか、
御霊を選ぶか、御霊を選ぶなら御霊の実を結ぶ。選べるよう主に助
けを求めて祈ろう。失敗した時は、悔い改め、〃前進して行こう。
主がそうさせて下さる。
---------------
強い自我を感じる一方で御霊による導きも示される。立派な言い訳
を肉は用意しても、御霊の導きに従う自由を選ぼう。主が共にいて
前進させてくださる。