2018年12月08日(土) 「あなたは、悩む民をこそ救われますが、高ぶる目は低くされま す」詩篇18:27
「あなたは、悩む民をこそ救われますが、高ぶる目は低くされま す」詩篇18:27
ダビデは、人口調査をして罪を犯してしまった。サタンがダビデを 誘い込んだと御言葉は言っている。人口を数える事は、罪なのか? 民の数を把握する事、それ自体は罪でも何でもない。ヨセフとマリ ヤの時代にも住民登録があった。しかし、ダビデは民の数を数えた 時に、良心のとがめを感じた。それをした動機が間違っていた事を、 自分で知っていた。 ダビデは、自らの勢力を誇り、自分を誇るために人口調査をしたの だった。神が与えて下さったものを、自らの力と取り違え、高慢に なってしまった。神ご自身ではなく、目に見えるものに、軍事力を 頼み、力とする恐るべき高ぶりであった。神が与えた罰の大きさを 見る時に、ダビデの罪の大きさを知る。 ダビデの犯した罪のために、疫病が起こり、罪の無い7万人が死ん だ。神は厳しい辛い試練を通して、ダビデの罪を明らかにされた。 しかし神の厳しさは、懲らしめは、神の愛だ。ダビデがこの罪を持 ったままに、そのままにされなかった。神はダビデに臨み、取り扱 われた。 私たちはどうだろう。神が上から与えて下さったものを、自分が横 取りして、誇っていないだろうか。私たちは裸で、この世に来た。 今、有形、無形で所有しているものは、すべてが神から与えられた ものではないか。今一度、与えられているものを、神にお献げする なら、聖められて、神に喜ばれるように使うことができる。 私物化する事なく、神の栄光のために用いられる。今、与えられて いるものが、神から来ている事を、今一度認めて、感謝しよう。 ・・・・・・・・・・・・ 何一つ持って来ないでこの世に来た。主より働く力が与えられてい るから、仕事もできている。主から目を離すと、自分で生きている かのように勘違いし、自分を誇ってしまう。様々な出来事はへりく だりのためだ。主が、愛をもってへりくだらせて下さる。