2019年07月08日(月)

「怒りをおそくする者は英知を増し、気の短い者は愚かさを増す」 箴言14:29


怒りに関しては、すべての怒りが罪なのではない。正しい怒りがあ
る。悪に対する怒りだ。主はパリサイ人の偽善に怒り、又、神殿で
商売がなされている事にひどく怒られた。悪や罪を憎まずして、主
を愛する事は出来ない。神を愛するとは罪を憎む事だ。怒りに二種
類あり、正しい怒りと自我から出る怒りだ。

では、肉の怒りはどのように対処すればよいのか。まず、自分の怒
りをきちんと認める事だ。腹を立てているのに、怒っていない振り
をしてはいけない。怒っているのに、怒りは良くない事だと、心に
押し込め抑え込んでしまう。しかし、封じ込められた怒りは、無く
なるのでなく、心の底に溜まる。

自分はクリスチャンであり、クリスチャンは怒ってはいけないのだ
からと、自分の怒りを認めない事がある。そうではなく、怒ってい
る事実をまず認める事だ。次にその怒りの原因をよく考えてみる。
なぜ怒っているのか。自分の何に触れるのか。プライドか、虚栄心
か、自分の名誉、メンツが損なわれるのか。又、自分の思い通りに
ならない事が、腹立たしいのか。これはなかなか多い。

次に、その怒りはそのまま表現してはならない。感情的なままで人
に対応すると、売り言葉に買い言葉となり、感情が激して、思って
もない言葉まで発してしまう。相手を傷つけ自分も傷つき、必ず後
悔する。害毒を流してしまう。感情に任せてしまい失敗した経験が
あるだろう。

自分の怒りを抑え込む事も、爆発させる事もよくない。まず人では
なく主を仰ぎ、助けを求めよう。怒りを正直に主に告げ、気持ちを
告げよう。一呼吸置いて祈ると、全く違って来る。祈りに答え、主
が働いて関与して下さる。

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対象がどうのでなく、自分の思い通りにならないから怒ると、よく
言われるが、それなら「自分」が根にあり「自我」だ。又、理不
尽な事態なら「自分で復讐するな。わたしがする」と言われる主に
委ねられるように祈ろう。