2019年10月08日(火)

「あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。 火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない」イザヤ43:2



私たちは、信仰人生で様々な試練に会う。御言葉が、信仰人生に
は、試練があると言っている。この世の宗教は、不都合な事の無
いための信心だ。悪い事があると、何のための信心かになる。し
かし「試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい」
「訓練と思って耐え忍びなさい、子として扱っておられる」「ご

自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめる」「順境の日に
は喜び、逆境の日には反省せよ。これもあれも神のなさること」
と、逆境も主からのものだと。時に、理不尽な、不当な苦しみも通
る。「善良で優しい主人に対してだけでなく、横暴な主人に対して
も従いなさい」と。辛い中も、神の前における良心のゆえに、悲し
みをこらえるなら、神に喜ばれることだと。

不条理な事があっても、異邦人の中で立派に振る舞うなら、悪人呼
ばわりされても、かの日に神をほめたたえるようになると。苦しい
水の中や火の中を、通らないようにされるのではない。そうでなく、
苦難の水の中、火の中を通るが、水に押し流されることはなく、炎
も燃えつかないと。

苦しみはあるが、主が共におられて、どんなに厳しい中でも必ず守
られると。脱出の道も備えられている。今、理不尽な、不当な苦し
みを通っているなら、大きな慰めであり、希望だ。主の支配の中に
あり、主の愛に守られている。
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試練に打ち勝ち強くなれと言われれば無理でも、弱いままで主に頼
れ、主がその御手によってしっかりと守るとの御約束は、何と心強
いことか。主にあってますます弱さを認めよう。それは何よりも強
い。