2020年01月08日(水) 「・・だれも神の恵みから落ちる者がないように、また、苦い根が芽を出して悩ましたり、これによって多くの人が汚されたりすることのないように」ヘブル12:15
「・・だれも神の恵みから落ちる者がないように、また、苦い根が芽を出して悩ましたり、これによって多くの人が汚されたりすることのないように」ヘブル12:15
モーセに率いられた民は、エジプトを出た後、追っ手のエジプト精 鋭部隊が迫り、目の前は紅海で、まさに絶体絶命だ。民はパニック なる中、紅海が分かたれて、道が出来るという、主の劇的な奇跡に よって、救い出された。大勝利であり、喜び踊り、主に溢れる賛美 と感謝を献げた。そして民は荒野を歩いた3日目、マラに着いた時 に水が苦くて飲めなかった。 主の奇跡によって、苦難から解放されて喜び踊った、たった3日目 に、手の平返しで、水が無いとモーセにつぶやいた。主は民を愛し、 あわれみ、民が救いを叫んだので、後にも先にも無い奇跡をもって、 救い出して下さった。目の当たりに奇跡を見たばかりだった。主に 不可能は一つも無いはずだ。 しかし目の前に不都合が起きると、主に信頼するのでなく、不平不 満、つぶやき、疑い、不信仰に陥ってしまう。水が苦かったのだが、 それは民の心にある苦い根の方が問題だった。「苦い根が芽を出し て悩ます」と。「多くの人が汚される」つぶやきは、聞く者を暗た んとした気持ちにさせ、恵みを消してしまう。自分も喜びと感謝が 失せる。 モーセは主に祈り、主は苦い水を甘くして下さった。これは信仰の テストだった。民を導き出された主は、全責任を持って下さってい る。昼は進路を示すため雲の柱、夜は照らすため火の柱の中にいて、 常に臨在された。つぶやきでなく、主への信仰、信頼を献げて行け るよう、祈ろう。 ------------- 主を知っている者として不安やつぶやきを発信するのは避けたい。 主の良くしてくださった恵みを覚えて、どんな中でも変わらない 喜びを主から受けていることを証していきたい。