2020年08月08日(土)

「ぶどう酒がなくなったとき、母がイエスに向かって『ぶどう酒が ありません』と言った」ヨハネ2:3


当時の結婚式で、ぶどう酒は重要で、それが切れるのは大失態だっ
た。だが、私たちの人生でも、ある時ぶどう酒が無くなる。自らの
失敗、又、病気、倒産、リストラ、離別、経済的問題・・突如の苦境
で、喜びのぶどう酒が切れしまう。その時に自分で何とかしようと
必死にあがき、もがく。まさに自力で、水からぶどう酒を作り出そ
うとする。

悪戦苦闘し、しかしぶどう酒など作れず、行き詰まり疲れ果てる。
そんな時に、私達のする事は、自分でぶどう酒を作り出すことでは
なく、「ぶどう酒がありません」と主に向かう事だ。そして言われ
る通りに従うと、目の前にぶどう酒が一方的に与えられた。

ある人は、子供の不登校で悩みに悩んだ。叱ったり、なだめたり、
押したり引いたり、何とか登校させようと必死だった。学校や保護
者たちとも連携を取り、自分に出来る事はし尽くした。しかし幾ら
動いても、時を経ても、全く何一つ変わらず、事態は微動だにしな
かった。

もう出来る事は何もなく、何のすべも無かった。心身共に疲れ果て
た。どん底で、主を仰ぎ、主のもとに行った。まさに「ぶどう酒が
ありません」状態だ。何も無い。ハンナのごとく心を吐き出し、注
ぎ出して、嘆きも憂いも苦しみも、何もかもをことごとく告げて祈
った。主と交わっている時に、初めて、自分の内側に気づきが与え
られた。

人からどう見られているか、人の手前ばかりを気にしている事、自
分がこの状況を受け入れられないでいる事を。御前に悔い改めて、
いっさいをお委ねする事ができた。状況は変わらないのに、初めて
平安と安堵が心に満ちた。人が気にならなくなった。そしてその後、
問題は解決した。

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祈ってはいるつもりなのだが、実は、自力で何とかしようと、悪戦
苦闘してしまう。心は重く苦しく、重荷がずっしり肩にかかる。無
力を認めて「ありません」と主のもとに行く時に、主が最高のぶど
う酒を備えて下さっている。