2021年01月07日(木) 「『こんなことでは、いったいどうなるのでしょう。私は』と言った。そして主のみこころを求めに行った」創世記25:22
「『こんなことでは、いったいどうなるのでしょう。私は』と言った。そして主のみこころを求めに行った」創世記25:22
信仰人生に「なぜ?どうして?」と思うことが起きる。穏やかな日 々に、突如の苦しみが臨む事もある。主に従うなら、祝福されるの ではないのか、なぜこんな苦しみ悲しみに会うのか。経済的苦境、 対人関係の悩み、仕事の問題、病気、離別・・様々な問題を通る。 イサクとリベカ夫婦にも試練があった。40歳で、イサクはリベカを めとったのだが、リベカは不妊の苦しみを通った。その上、不妊は 当時、神に呪われているという迷信があり、人々から、何か後ろめ たい事があるからだと中傷され、更に辛い状況だった。そのため、 イサクは自分の妻のために主に祈願した。 苦しい状況にある妻のために切に祈った。主はイサクのその切なる 祈りに答えられた。主は、窮地に陥った者の祈りを聞いて下さる。 私たちも、窮地にはまず祈ろう。リベカは双子を妊娠した。どんな に喜びであった事だろう。ところが、双子の兄弟がお腹の中でぶつ かり合い、争うという悩みが襲って来た。 あんなに求めた子供なのに、リベカは不安でたまらず、そんなリベ カがした事は「そして主のみこころを求めに行った」とある。私た ちも、喜びの日々から、突然わけのわからない不安な状況に陥った り、理解不能の事態に遭遇する事がある。そんな時はリベカのよう に、主のみこころを求めよう。主は祈りに答えて、主のお心を示し て導いて下さる。 ------------ 突然の事態でも主に祈ると希望が生まれる。主が聞いてくださり愛 を持って答え、導いてくれるからだ。足りない自力で頑張って生み だす希望ではない。主に信頼していよう。