2021年03月08日(月)

「サウロは教会を荒らし、家々にはいって・・次々に牢に入れた。他方、散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた」使徒8:3



サウロは神のためと信じきって、熱心にキリスト者を捕えていた。
ステパノ殺害にも賛成していた。ステパノの御霊に満たされた証し
を目の前で見て、サウロは憎悪に燃えた。キリストを神とし救い主
とする、キリスト者は許しがたい存在だった。激しい怒りと敵対心、
憎しみは増幅し殺害の意を固くした。

ステパノの厳粛な殉教により、更に迫害は激しさを増し荒れ狂った。
サウロは教会を次々と荒らし、家々に入って、容赦なく人々を引き
ずり出し、投獄した。そのため信徒たちは、四方に追いやられ、あ
ちこちへ散らされて行った。皆が、散りじりバラバラになってしま
った。ではこの厳しい迫害の苦難で、信徒たちは絶望、意気消沈し
て、教会は壊滅して行ったのか。

ところが、そうではなかった。あちこちに、散らされた信徒たちは、
何と「みことばを宣べながら、巡り歩いた」。結果的に見れば、こ
の迫害による離散によって、返って福音が拡大して行く事になった。
信仰の火が消えるどころか、ますます燃え上がり信仰が強くされ、
福音が四方八方に拡がった。私たちも、形は違うが同様に、「なぜ
こんな事が!」「なぜこんな苦しみが?どうして?」との突如の事
態が起きる。

しかし一見、マイナスのその事が、理解を越えた大きな祝福へと結
実して行く。そして信仰が堅くされ、成長へと導かれる。目に見え
る所でなく、主を仰いで、信じて、苦しい中も従って行こう。ご計
画があり、その先に、思いを越えた祝福が用意されている。
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困難が自分の身に及んだら、マイナスはマイナスにしか見えない。
最悪の結果に怯えるばかりだ。それが自分の限界だと、悩むのをや
め、全てを支配しておられる主に信仰の目を向けてみよう。