2021年12月08日(水)

「ダマスコにアナニヤという弟子がいた。主が彼に幻の中で、『ア ナニヤよ』と言われたので、『主よ。ここにおります』と答えた」 使徒9:10



激しい迫害により、キリスト者は、エルサレムから方々に散らされ
た。ユダヤ人たちは執拗に、どこまでも彼らを追った。サウロは強
い殺害の意に燃え、大祭司にダマスコの諸会堂宛の手紙を頼み、見
つけしだい捕縛する権限を得ていた。すべての信者をエルサレムに
連行するためであった。

だがその途上で、突然天からの光を受け、主に出会い、目が見えな
くなる。アナニヤがダマスコに住んでいた。迫害の危機に、真剣に
祈っていただろう。そんな時に「アナニヤよ」と御声を聞いた。ど
んなにか心強かっただろう。だがその言葉は、驚くべきものだっ
た。

迫害者サウロに会いに行き、彼の目が見えるよう祈れと。アナニヤ
は余りの驚きに理解できず、彼はひどい迫害者で・・と問うて行
く。
するとサウロは、異邦人たちに宣教する選びの器だと言われる。ア
ナニヤは困惑だっただろうか。愛する同胞たちを殺した相手だ。

その助けのために祈れと。だが、あのサウロが本当に回心したのだ
ろうか。会えば殺されるかも知れない。本当に主の御声なのか?し
かしアナニヤは日々主との交わりに生きて、従い続けて来た。間違
いなく主の御声だ。

アナニヤは自分を献げて従った。主はアナニヤをこのために選ば
れ、
彼が従う事を知っておられた。そしてアナニヤは素晴らしく用いら
れた。私たちも主に呼ばれた時に、「主よ、ここにおります」と応
答しよう。
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いろいろな場面で主に導きを求めて祈っても、自分の思いに合う事
だけを喜んで聞こうとしてしまう。主の御声も御心も、主に自分を
明け渡し、従いますの態度で聞いていきたい。