2022年02月05日(土) 「からだのあかりは目です。それで、もしあなたの目が健全なら、 あなたの全身は明るいが、もし、目が暗ければ、あなたの全身は暗 いでしょう」マタイ6:22
「からだのあかりは目です。それで、もしあなたの目が健全なら、 あなたの全身は明るいが、もし、目が暗ければ、あなたの全身は暗 いでしょう」マタイ6:22
外からの光を受けるのは目だ。光は満ちていても、もし目を閉じて いれば、光は入らない。目が健全なら、全身が明るいと言っている。 「健全」とは、「明るい」「澄んでいる」とある。目が明るく、澄 んでいれば、光が入り、目が濁っていれば、光は入らない。澄んだ 目とは、「単純」「単一」の目のことだ。 単一の目とは、まっすぐに神にのみ向かう目だ。神にのみ向かう目 には、光が充分入り、全身が明るくなる。濁った目、暗い目は、単 一でなく、神以外のものにあれやこれやと向かう目だ。神から目が 離れ、自分の利得、自分の欲、自分の栄光、賞賛。叉偏見や歪んだ 見方の目・・それなら目が暗く、全身は暗いと。 その前の節に「あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるから である」とある。神以外の、大切な宝があるなら、心が神ではなく、 その宝に縛られている事になり、妨げられるので、目から光りが入 らない事になる。貪欲によって、「天に蓄えられた宝」に対して、 心が閉じてしまわないようにと。 自らの目はどうだろう。神よりも大切な、地上の宝にしがみついて いるだろうか、叉、偏見があるだろうか。御霊に心を探っていただ こう。目に妨げがあるなら、見えないので、心が暗いと言っている。 しかし主のもとに行くなら、一つ一つと具体的に導いて下さる。目 を閉じているなら、気づかせ、神以外のものを求めているなら、そ れも気づかせて下さる。全身が明るくなると、喜びが満ちる。 ・・・・・・・・・・・・・・ 自分の目が、主以外のものに向いている時、目が暗くなっている。 まっすぐに主に向かうために、妨げになっている偶像を一つ一つ 示して頂きたい。主に一つ一つと、明け渡して行けるよう、祈って 行こう。自分の力では出来ないので、主の助けを仰ごう。