2023年05月08日(月)

「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのこ とばによる」マタイ4:4


人は、神の言葉によって生きる。又、バプテスマのヨハネの箇所で
「荒野でヨハネに神の言葉が下った」と出てくるが、荒野のように
思える中で、主の言葉を受け取れる。神の言葉が、荒野でヨハネに
下ったとある。荒野とは何もない所だ。そこはこの世的には不便で
快適で無い。携帯、パソコン、テレビも無く、映画館も遊戯施設も
無い。静寂が支配する場所だ。

その何も無い所で、主の言葉が下った。私たちも、主の言葉を聞く
ために静かな場所は大切だ。気が散らず集中できる場所で、御声に
耳を傾ける時に、主の言葉が下る。しかし環境的に、どうしても時
間と場所の確保が難しい場合もあるかも知れない。ある人は時間も
場所も取れない状況下で、通勤時間を主との交わりの場とした。目
を閉じ、じっと黙想し、心の中で祈りの時を持ち、その人の荒野と
した。

又、ある人は、早朝出勤、深夜帰宅の激務だった。心身消耗し、自
分の時間など全く持てない。そんな中、昼休みに屋上に行き、隅の
椅子に座り、御言葉に聞き、祈り、交わりの時とした。主に触れ
て、
豊かな祝福とされた。別の人は昼休みに公園へ行き、御言葉と祈り
の時を持った。そこが荒野だった。

育児に家事に忙殺され、自分の時間など持てない主婦が、ぼうぼう
の草刈りにうんざりだったが、切り替えて、主との交わりの時とし
た。御言葉を反すうし、祈りつつ、草取りをしていると、悔い改め
に導かれたり、問題に御言葉の導きが来たり、日頃の恵みに気づか
されたり、庭がきれいになった時には、心も喜びと平安で満ちた。
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主との交わりの時を持たないと、少しの事で動揺したり悲しんだり
心がどんどん消耗していくのがわかる。忙しい時こそ御言葉を読み
祈り、主の守りがあることを確信して歩もう。