2023年08月08日(火)

「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」 ヨハネ21:15



ある人が失敗し、罪を犯してしまった。周囲の人を傷つけてしま
い、ひどい過失だった。悔い改め、赦していただいたと頭ではわか
るのだが、心が痛くてたまらず、重かった。主に向かい、あるがま
まを申し上げ、祈っていた。聖書を開いた時、ペテロの回復の箇所
だった。自分だけは絶対に裏切らないと思っていたペテロが、主を
3回も、それも呪いをかけ誓ってま、で裏切ってしまった。

何と言う事をしたのか。取り返しがつかない大失敗、ペテロはどん
なに苦しい思いだったろう。そんな中、主が、弟子たちのために、
魚とパンの朝の食事を用意し、招かれた。そこでペテロに、3回
「あなたはわたしを愛しますか」と問われた。主は「なぜわたしを
裏切ったのか」とは一言も言われない。人間的になら、まず問うて
しまいそうだ。

しかし「わたしを愛しますか」だった。ペテロは「私があなたを愛
することは、あなたがご存じです」と答えた。以前のペテロなら、
違ったろう。主を愛する事においても、自分が一番だと思ってい
た。しかしその自信が砕け散った。ペテロは砕かれた。その現実を
前に、精一杯の心を伝え、主に判断を委ねた。ペテロは赦され、使
命を与えられた。

その箇所が、自分自身にも重なり、主の赦しを確信できた。私たち
も問われているだろうか。どうすればよいのかとの、様々問題が生
じる時、その事は、「主を愛する」ゆえにするのだろうか。又、
「主を愛する」ゆえに控えるのだろうか。どうであれ動機は主への
愛だろうか。私たちの動機は、主を愛するゆえだろうか。
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失敗する度に主は私の罪を十字架によって赦してくださる。赦しを
受け取る平安は何物にもかえられない。この主のご愛があるからそ
の愛に応えようと遅い歩みでも変えられて行く。主を愛するゆえ
に。