2023年11月07日(火)

「・・そのために私は、高ぶることのないようにと、肉体に一つのと げを与えられました。それは私が高ぶることのないように、私を打 つための、サタンの使いです」Uコリント12:7


パウロは、とげが与えられて、痛いとげが取り去られるよう、祈り
に祈った。より働けるようにと思っただろうか。その祈りに主は答
えられた。その答えは「ノー」で、取り去らないと。そのとげがあ
る事で、弱さの中に、完全に働く主の力を知れるからと。弱さの中
で、絶えず主の臨在の中を歩めると。

パウロは主の御心を示され、大いに喜んで自らの弱さを誇ると言っ
た。この御言葉は不思議に思えるだろうか。この世の価値観では、
強いことが善であり、弱さとは、劣っているという事だ。だから頑
張って弱さを克服し、強さに変えようとする。弱さは欠点であり、
人前に恥であり、恐れとなる。それが世の価値観だ。

そのため、弱さは知られたくないし、見せたくない。人はそのよう
に生きている。だから弱さは足かせで、重荷以外の何ものでもな
い。
そんなところに、「わたしの恵みはあなたに十分。わたしの力は、
弱さのうちに完全に現れる」との御声が臨んだ。パウロは「私は、
弱さに甘んじている」と、その中にいる事を喜べた。

そして、そのとげは高ぶることがないようにと、与えられ、自らを
へりくだらせるものだと。とげを受け入れる事により、高ぶりから
守られる。弱さ、侮辱、苦痛・・を甘んじて受け入れる事で、私たち
は恐るべき高慢から守られる。高ぶりほど恐ろしいものはない。
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信仰があってもどこか精神的にも肉体的にも弱いより強い方を誇り
たくなる。生きるのが楽な気がするからだ。でも主の御心は違う。
主から与えられるものだけが誇りだ。弱さの内に主の恵みが溢れ
る。