2024年10月08日(火)

「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与 える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません」 ヨハネ4:13



私たちは、何を喜びとするだろう。自分の願望が叶い、思い通りに
なる事が幸せだろうか。自分の欲望が満たされると心地良い。これ
は肉の価値観であり、主を知る以前はこの価値観で生きて来た。そ
れで心満たされたいために、願望を遂げようとする。人からの誉、
地位、仕事、趣味、愛する人・・次々と求めて行く。

しかし欲するものを得た時に、一瞬の快楽はあるが、それで真に満
たされる事は無い。又、渇く。心は虚しく、更に別のものを求める。
「この水を飲む者はだれでも、また渇く」とあり、この世のものは、
願望が叶っても、心が満ちる事はなく、又、次々と追い求める。

サマリヤの女性は、5回の結婚と5回の離婚を重ね、現在同せいし
ていた。彼女は、男性が自分の心を満たし、自分を幸せにしてくれ
ると思った。だから結婚がうまく行かないと、この相手だからうま
く行かないのであって、別の相手ならと、5回繰り返した。しかし
決して満たされる事はなかった。

今も多くの人が、欲望が満たされる事が幸せであり、人生の目的だ
と思っている。しかしそこに満足は決して無い。主がそう言われて
いる。真の幸せと満足は、自分の欲望を満たす事でなく、主ご自身
にあり、主を信じ、その御心を歩むところにある。

主に、御言葉に従って行く時に、自分に真の喜びである、御霊の喜
びが与えられ、心が満たされる。そして目の前の一つ一つの御心に
従って行く時に、自分が変えられて行く。この世のものではない、
主からの平安と喜びを経験して行く。
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欲望を満足させるのが充実した人生だと刷り込まれていく。そして、
また渇く・・を繰り返す。主との愛の交わりがあり、平安に満ちて
いるなら、心は喜びに溢れる。感謝を献げて歩める。