2025年04月06日(日)

「主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし ・・」詩篇 103:3



ある男性の証しだ。夫婦の子どもが、未熟児で出生後、育つこと
ができず亡くなった。その時、彼は、後悔に胸が締め付けられ、
涙が出て仕方がなかったと。若くして結婚したので、したい事が
沢山あり、まだまだ遊びたかった。子どもはずっと先と思ってい
て、妻の妊娠を喜べなかった。あの旅行、スポーツ、このイベン
トが全部ダメになった。

行動の制約に、不満が募り、出産に拒否反応だった。そのため
子どもが死んだ時、自分のせいだと、自分を責め、涙が止まら
なかった。何というひどい自己中心、苦しくて辛くてたまらなかっ
た。周囲からどんなに慰められても、だめなのだ。心に突き刺さ
るような罪責感はどうにもならなかった。

その後、主に出会い、心の何もかもを吐き出し、悔い改めが与え
られ、初めて心の平安、安堵を経験した。十字架の血潮で赦さ
れ、受け入れられている、暖かい愛に包み込まれるようだった。
あれほと苦しかった心に、安らぎが来た。ある人は、辛い対人
関係があり、余りに攻撃されるので、それは相手への憎しみと
なって積もった。人を憎むと、苦しく辛いのは自分だ。

主により、相手は関係なく、憎しみは自分の問題と教えられた。
自分の問題として受け止める事を導かれ、悔い改めが与えら
れた。その時「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は
真実で正しい方ですから、その罪を赦し・・」と御言の葉通り、赦
された平安が来た。あの胸の辛さが消えた事に驚き、心が軽く
なった。主の真実に感謝し、御名を崇めた。

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どんな時も、主のもとに行こう。主は受け止め、平安へと導いて
下さる。犯した罪は赦して下さる。罪赦される平安は、何にも代
えられない。主の流された血潮のゆえだ。平安が失せる時は、
主のもとに行き、御霊に心を探って頂こう。導き返して下さる。