2026年02月05日(木) 「道々お話になっている間も、聖書を説明してくださった 間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか」ルカ24:32
「道々お話になっている間も、聖書を説明してくださった 間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか」ルカ24:32
主の死後、二人の弟子が、なすすべなく故郷に引き揚げる途上だ。 イエスご自身が、かたわらを歩かれたが、彼らには、それが主だと わからない。なぜ、わからないのだろう。目がさえぎられていた。 主は、現に、かたわらにおられるのだが、こちらの目のせいで見え ない。 目をさえぎるものが数々ある。失望落胆、悲しみ、絶望、この世の 価値観、思い煩い、不安、多忙、ネガティブ思考、悩み・・これらは 主を見えなくし、主を見失ってしまう。あなたも今、この状態にあ るだろうか。そんな意気消沈し、絶望した弟子たちに、主は、どう されたのか。 主は、御言葉を語られる。彼らは、なぜ主だとわかったのだろう。 主に目が開かれたのだが、どのように開かれたのか。後で気づくの だが、道々話して下さっていた間、御言葉を聞いていた時に、心が 暖かくなって行き、赤々と心が燃えた。主と出会う時、心が燃やさ れて行く。内側から力づけられる。 心に何かを感じた弟子たちは、もっと聞きたい、もっと知りたいと の「求め」が湧き上がった。分かれ道に来た時、主に一緒に泊まる よう、無理やり頼み込んだ。主はそのまま行かれる予定を、「求め」 に応じてとどまられた。一緒に泊まった時に、主を親しく知った。 さえぎられていた目が、主により開かれ、同行者が主だとわかった。 御言葉によって主がわかった。御言葉が重要だ。今も主はかたわら におられる。御言葉によって知れると。御声に耳を傾けよう。御言 葉により、目が開かれて行く。 -------------- 意気消沈しとぼとぼと歩く傍らに主がおられるところに希望がある。 御言葉を開き、祈りつつ御声を聞こう。必ず導かれる。苦しみや思 い煩いで曇りがちな気持ちのままで、御言葉を開こう。