2004年05月08日(土)

「主はあらしの中からヨブに答えて仰せられた。わたしはあなたに尋ねる・・自分を義とするために、わたしを罪に定めるのか」(ヨブ40:8)

ヨブは神を恐れ、立派な信仰者だった。良い行ないに歩む善い人であった。サタンの提案で神が苦難を許されたので、ヨブのもとに次々と苦難が臨んだ。余りの凄まじさに慰めに来た友人達すら言葉を失うほどだった。ヨブは自分がなぜこんな苦しみに会うのかがわからなかった。自分は義しいのに納得が行かなかった。自らを義とするヨブに神は臨まれた。直接苦難の原因については何も答えられず、全能であるご自身が創造した自然界の測り知れない偉大さを見せられた。しかし、その時ヨブは悔い改めたのだ。納得行ったのだ。苦しみの中で、苦難の理由を理路整然と綺麗に説明されたとして、それで従って行けるものだろうか。神と私との関係はどこまでも「信頼」関係なのだ。神を信頼して従って行く時、どのような状況の中でも満足が来る。
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神とは取引きの雇用関係では決して無い。そこには取引きがあるだけで心がない。愛と信頼の領域が支配する関係だ。その信頼関係を見失うと真っ暗闇に陥る。何も見えない。的がはずれるからだ。神は信頼を求めておられる。答えを持ち、明日をご存じの神に信頼してついて行きたい。