2004年06月07日(月)

「人はそれぞれ自分の欲に引かれ、誘惑されるのです。欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます」(ヤコブ1:14)


 誘惑はすべての者に襲いかかる。どんな者にでもだ。「主は、敬虔な者たちを誘惑から救い出し」とあるように、敬虔な者、最もきよい者も同様だ。しかし、誘惑はその者に意思によって魂の内に迎え入られた時だけ罪となるのだ。どんな誘惑も黙認されるか、歓迎されるのでなければ罪とはならない。罪とは誘惑に屈することだ。自分の側で誘惑に対する同意が無い限り、罪は入る事が出来ない。魂が害される事も出来ない。どんなに激しい誘惑でもそうだ。罪を犯す前に、誘惑に同意し、受け入れた結果である。誘惑に同意し、受け入れた結果である。誘惑は輝くように美しいものとしてやって来る。最も弱いところにつけ込んで。誘惑とも気づかない形で。
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誘惑は甘いから誘惑だ。自分の欲にぴったりとはまる。誘惑が来たなら、その場で神に告げ助けを求めよう。心に迎え入れてはいけない。同意するなら罪は熟す。