2005年02月04日(金)

「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々十字架を負い、わたしについて来なさい」(ルカ9:23)



日曜信者とかクリスマス信者という言葉がある。日曜日とクリスマスだけ信者なのだそうだ。私達はどうだろう。日曜日は教会に行くかもしれないが、平日の生活はどうだろう。主は「日々」従うように言われた。自分の都合の良い時だけ従い、都合が悪ければ、拒むだろうか。十字架を負うとは、自分に死んで、神のみこころを選び取る事だ。つまりみこころを選ぶなら自分に死なないわけには行かない。ある人が嫌な対人関係があった。接すると鋭いきつい言葉でいつも傷つき関わりたくない。しかし神は近寄り交われと言われる。食事を共にした時、相手は心を開き複雑な家庭環境にある事を話してくれた。以後一番中の良い関係になった。御旨に歩もう。
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いい時だけのクリスチャンではなく、日々、日毎に、御霊に導かれて主と歩もう。都合が悪くなったら、一人で歩んでいないか。気がついたら神様から遠く離れていないか。