2005年03月07日(月)

「神が私を殺しても。私は神を待ち望もう」(ヨブ3:15)




木や建物にからみつく、つたを見る事がある。しっかりとからみつき、風雨の時はますますからみつく事となる。同様に私達も更に神に近づき、神に拠り頼むように、試練の大嵐を送られる。自分の無力を徹底的に思い知らされ、何もどうにも出来ない、神にしか頼るものがないという状況に追いやられる。人はここでこそ神を真に経験する。いかに心を支えて下さるかを知る。状況が変わらずとも、その状況のまっただ中で、心に不思議な平安、主の平安が与えられる。自分でなく、御手に支えられている事が真にわかるのだ。外は大嵐だが御翼の陰は全き平安なのだ。逆境の時は恵みの時だ。神に向かって、心の底から叫び求める。順境の時には絶対に経験できない。
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神様しか頼るものがない、この状況の時が一番しあわせだ。神様がくださるどんな小さな慰めにも、心は敏感になり感謝して受けとれる。絶えず祈れ、みことばは心に響き、大きな平安の真空パックの中で嵐をやり過ごせる。