2005年05月08日(日)

「あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです」(マタイ5:7)

あわれみとは、「同情+行ない」だ。同情だ
けで終わらない。行動に及んで行く事だ。主
イエスは、罪にまみれて滅びしか無い私達を
かわいそうに思い、思うだけでなく、実際に
この世界に来て下さった。天での栄光を何も
かも捨てて、その果ては残酷な辱めの十字架
であった。これがあわれみだ。良きサマリヤ
人は傷つき倒れた旅人をかわいそうに思い、
近づいた。介抱し、宿屋に伴い夜を徹して介
護し、費用も担った。主が私にして下さった
事だ。同情だけでなく行動に移して行く時、
あわれみをかけて行く時、自分自身がこのよ
うに、主にあわれまれている事を知る。
不思議だが事実だ。あなたも経験した事があ
るだろう。サマリヤ人はまず近づいた。まず
一歩近づこう。主が働かれ、用いて下さる。
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心の思いだけでなく、同情だけでなく、実際に
行動する事、犠牲を払う事だ。思いがあるが、
それだけで止まっていないか。まず近づいて、
今、目の前に示されている事を実践しよう。
それにより、自分自身が主のあわれみを知る。