2006年05月07日(日)

「それは、あなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった」申命記8:7



主は私たちの信仰を試みられ
る。それは、主が私たちの信
仰を知るためでなく、私たち
が自分の状態を知るためだ。
私たちは、自分に欺かれてい
る。自分は良い人間だと思っ
ているし、神を愛し、信仰が
あると思っている。しかし、
主は私たちの心の内をよくご
存じだ。もし自分に欺かれて
いたら、自分の力に、自分の
判断に頼って行く。神から離
れて、自分の力で生きるよう
になる。そこで、神は、私た
ちに本当の姿を見せられる。
自分がどんなに弱く、頼りな
く、判断が当てにならず、間
違う者であるかを知らしめら
れる。そのために試練が送ら
れる。試練の時に、人はその
本性が出る。不信仰、不平不
満、愚痴が出るか、それとも、
試練の中で信仰、神への信頼、
自制、忍耐が出て来るか。
試練は神の愛だ。愛されてい
る証拠だ。試練を通して変え
られ、成長して行く。
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あると思っていた信仰も試練
の中では全くの不信仰と思い
知らされる。自分を頼りに右
往左往。神様を見失った時に
本当の試練が始まることもそ
の中で思い知らされる。感謝。