2006年06月06日(火)

「まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう」詩編23:6



神の恵みを認め、感謝し恵みを
数える人に、神は恵みを増し加
えられる。
マリヤは人から賞賛されても
「主をあがめ、わが霊は、救い
主なる神を喜びたたえます・・こ
の卑しいはしために目を留めて
下さった」と主を讃えた。
私達は自分が認められたいので、
人の賞賛を求める。しかし、主
にだけ栄光を帰し、主だけを崇
めて行くなら、幾らでも恵んで
下さる。ある婦人は仕事を祈っ
ていると、来たのが到底無理な
営業の仕事。自分には出来ない。
しかし、祈りの答えと信仰によ
り受けた。自分には出来ないの
で、祈りに祈って仕事をした。
すると、次々と契約が取れ、
一つ一つの結果を「神様です!」
と、神に栄光を帰した。自分が
栄光を奪わなかったので、次々
と契約が与えられた。神にのみ
栄光を帰するなら、恵みを注い
で下さる。自分に栄光を帰して
いないか。恵みに感謝もなく、
当然のことにしていないか。神
にのみ栄光を帰し、恵みを数え
て数えて歩む者に、神は良いも
のを惜しまれない。
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恵みを恵みと思わずつぶやいた
り、うまく行けば行ったで自分
を誇る・・なんと私達は自己中
心な者だろう。もらったもので
無いものが一つでもあるだろう
か。