2006年10月08日(日) 「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安・・」ガラテヤ5:22
「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安・・」ガラテヤ5:22
私達は自分の思い通りに、自分のし たい事をして生きるなら、幸せで、 充実感があると勘違いする。が、決 してそうではない。貪欲は更に貪欲 を生み、とどまるところを知らない。 金持ちが幾ら富を持っても決して満 足しないように。欲望は満たせば満 たすほど、更に渇く。生きがいを求 めて次々と駆け巡る人を見るだろう。 自分を喜ばせ、自分の欲望を充足し て生きて行く人生はますます渇くば かりだ。問題は「自己中心」にある からだ。神を喜ばせ、神を第一にし た人に、喜びが無かったという事を 聞いた事がない。人は喉から手が出 るほど「喜び」が欲しい。もし喜び が欲しければ、自分を喜ばせる事を 止め、神の喜ばれる事を求める事だ。 喜びは御霊の実だ。御霊の実は、御 霊に自分を明け渡して、従って行く 時に与えられる実だ。自分で得るの ではなく、神に従う時に初めて豊かに 満たされる。今の自分の在り方をもう 一度考えてみよう。 ・・・・・・・・・・ 喜びと充足感が欲しくて、自分の 欲望を追い求めるが、ますます渇く。 自分を捨て、主に明け渡す時、真に 自分を見い出し、喜びが来る。状況 がどうであれ、御霊の喜びを経験する。