2007年04月07日(土)

「あの方は盛んになり私は衰えなければなりません」ヨハネ3:30

自分がないがしろにされたり、無視
された時、自分の思い通りにならな
い時、心に何が湧き上がるだろう。
自分の場所を、地位を、人に明け渡
さなければならない時、心はどうだ
ろう。ある青年はクラブのリーダー
の立場が、別の人に移った時に、自
分の罪の姿がはっきり示された。そ
の人へ皆の関心が移って行った時、
醜い妬みで心が一杯になったと。自
分が崇められたいのか、主が崇めら
れる事を喜ぶのか、私達は様々な出
来事で試される。王の王、主の主で
あられたキリストは、すべての権威、
栄光を持っておられた。しかし「自
分を卑しくし、死にまで従い、実に
十字架の死にまでも従われ」、ご自
分を捨てられた。主の似姿に変えら
れるために、自我は砕かれ、高慢や
プライドは削られる。肉には耐え難
い事だ。しかし、主が大きくなられ
るには、自我は衰えて行かねばなら
ない。それが成長だ。プライドが傷
つく時、自分が盛んになり、自己顕
示、自己主張、自己実現、自己保存、
自分、自分・・になっている。身辺
の一つ一つの出来事はあなたを衰え
させるためだ。「感謝します」と受
け取って行く時、私達の内で、あの
方は盛んになられて行く。
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目の前に、痛い事態があるなら、私
が衰えるためだ。視点をそこに。自
我は拒み、痛くて血が流れるが、あ
の方は私の内で盛んになられる。ま
すます自由にされ喜びが増して行く。