2007年07月08日(日)

「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない」ヘブル12:5




放蕩息子ではないが、私たちも信仰生活の
中で、道からそれて、世の楽しみにかまけ
て、神を忘れるだろうか。神は愛ゆえに、
頭をコツンと打って下さる。神に帰るよう
気づかせて下さるためだ。軽いコツンでわ
かればよいが、それでもわからなければ、
バシンと殴って下さる。それでもわからず、
神から離れたままであれば、神は愛ゆえに、
むちを持って懲らしめられる。苦しい目に
会うと、神のもとに駆け込む。餓死寸前の
放蕩息子のように、我に返る。こうして神
に立ち返った人は多いだろう。自己中心で、
神をないがしろにし、好き勝手な道に走り、
目の前の美味しい草をあさりながら、道に
迷ってしまう。神に立ち帰り、いかに神の
愛とあわれみが深いか、赦しが大きいか、
幾度も味わい知る。自己中心な自我が砕か
れ、神への感謝が増し、溢れる。その結果、
生活に平安な義の実を結んで行く。神に立
ち帰るために、神は懲らしめを送られる。
これは愛以外の何ものでもない。もし放っ
て置かれたなら、今の自分は無い。あなた
にも今、「コツン」が来ているか。心が神
から離れていないか。今すぐ、神のもとへ
立ち帰ろう。両手を開いて大喜びで迎えて
下さる。
・・・・・・・・・・・
自我は頑強で、痛い目に会わなければ、従お
うとしない。痛い目にあって砕かれ素直にさ
れる。自分から従えば良いが、そうしない頑
なな神に敵対するものが内にある。懲らしめ
は神の助けで真に愛だ。