2007年12月08日(土)

「私にとっては、あなたがたによる判定、あるいは、およそ人間による判決を受けることは、非常に小さなことです。事実、私は自分で自分をさばくことさえしません」Tコリント4:3

ある人が第一線でバリバリ仕事をし
ていた。ところが、仕事に行き詰ま
り、体調を崩し、止むなく退かねば
ならなくなった。その時に、ひどく
落ち込んだ。仕事が出来ていた時は、
自分が価値のある者と思えていたが、
何も出来なくなった時、自分の価値
を認められなくなったのだ。非常な
苦痛であり、受け入れ難い事であっ
た。様々な弁解や言い訳で、自分を
取り繕おうとするが、無駄だった。
仕事上の失敗を、人のせいにしよう
としている自分、人を赦せない自分
に苦しんだ。御前に出て、何もかも
を打ち明け心注ぎ出し祈った。十字
架が迫った。「父よ。彼らをお赦し
下さい。彼らは、何をしているのか
自分でわからないのです」主の祈り
が、自分のためである事がわかった。
主の赦しの愛を全身に受け取った。
そして、主は完全に赦して下さって
いるのに、自分が自分を赦していな
い事を示された。自分を赦せた時、
人も赦す事ができた。何かをしたか
らでなく、何が出来なくとも、この
ままの存在を受け入れて、愛して下
さっている主の愛に癒された。自分
を裁く事を止めた時、人を裁かなく
なった。
・・・・・・・・・・・・
何に拠って立っているのだろう。拠り
所は何なのだろう。自分の能力なら
行き詰まった時、拠り所が壊れてしまう。
附属物を全部取り去った自分そのもの
を愛して下さっている主の愛に感謝しよう。