2008年04月05日(土)

「道ばたに落ちた種があった。すると鳥が来て食べてしまった」マタイ13:4



道ばたとは、固い土地だ。固いので、
落ちた種が跳ね返る。土の中に入らな
い。種は御言葉であり土地は心だ。心
に御言葉が入らない。固い土地の一つ
に「自分の思い」がある。御言葉を聞
いた時に「無理」「人を愛するなど、
はなから無理」「自分を捨てるなどで
きるわけない」「御言葉通りにしてい
たら、世の中生きて行けない」「周囲
から浮いてしまう」御言葉を聞く時に、
同時に様々な思いが来ている事に気づ
くだろうか。ある人が幾ら御言葉を聞
いても、神のことがわからず、自分も
全く変わらない。そんな時に、ふと気
づいた。御言葉を聞くと同時にそれを
否定する思いが臨む。「できるはずな
い」その思いの方を優先させ、取り込
むので、結局、御言葉が心に入ってい
ないのだと。はじき返して捨てている。
サタンが御言葉を奪って行くので、物
理的に聞きはするが、心に入っていな
い。それが、神がわからず、成長のな
い原因だったと。種が無い限り、実が
なる事はあり得ない。何十年と御言葉
を聞いていても、自分が変わらない。
あなたはどうだろう。どんな聞き方を
しているだろう。「聞き方に注意しな
さい」とある。自分の思いが、御言葉
をしゃ断し、捨ててしまっているなら
気づきを与えられ、まず御言葉を心に
素直に受け止められるよう祈ろう。出
来ないなら「できません、助けて下さ
い」と祈ろう。必ず神の助けが来る。
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好きな、耳ざわりの良い、都合の良い
言葉だけ聞いているだろうか。「愛さ
れている」だけにとどまらず「義の訓
練」「聖め」の痛い言葉もへりくだっ
て受け止め、成長して行けますように。