2008年05月08日(木)

「地は植物、種を生じる草、種類にしたがって、その中に種のある実を結ぶ果樹を地の上に芽生えさせよ」創世記1:11


種を蒔いて結実するように、神が御
心とされた。種を蒔くと実がなり、
種によりその結果を刈り取る。御霊
のために蒔くなら、永遠のいのちを
刈り取り、肉に蒔くなら、滅びを刈り
取るのは、御言葉に言われている
通りだ。又、神は「種類にしたがっ
て」実を結ぶように定められた。蒔
いた種の花が咲き、実がなるという
ことだ。スミレの種はスミレの花が咲
く。スミレを蒔いて、バラの花が咲くこ
とはない。「種類にしたがって」であり、
法則だ。では、信仰と不信仰の種は
どうだろう。信仰の種を蒔くなら、そ
の結果を刈り取る。「恐れないで、た
だ信じていなさい」との御言葉を信じ
ているなら、信仰の種を蒔き、その
結果を刈り取る。「私を強くして下さ
る方によって、どんなことでもできる
のです」との種を蒔けば、実現成就
の実を刈り取る。「私の神は、ご自
身の栄光の富をもって、必要をすべ
て満たしてくださいます」の種を蒔け
ば、必要の満たしを刈り取る。盲人
に「そんなことができると信じるのか」
との問いに「そうです。主よ」と答える
と「あなたの信仰のとおりになれ」と言
われ、目が開いた。同様に不信仰の
種を蒔けば、その結果を刈り取る。
不信仰の種を蒔いて、信仰の実を刈
り取ることはない。「種類にしたがって」
だ。日々どのような種を蒔いているだ
ろう。「神にはできる!」の種を蒔こう。
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私の努力ではなく、神様が決して見
捨てないと言って下さるから不安は
あってもそれを上回る希望と喜びで
勝利の日を見つめていける。み言葉
に立って信仰の実を刈り取ろう。