2008年10月08日(水)

「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあたながたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます」ヨハネ15:7



ある人が神学生だった時に学
期始めに費用の前納が必要だ
ったが、ある時、お金が無か
った。何もかも捨てて、神だ
けに頼って神学校にやって来
たのだ。神は絶対に必要を与
えて下さるはずと、必死に祈
り、祈りに祈った。納入の締
め切り日が来たが、与えられ
なかった。お金は無く、心は
落胆した。しかし祈りに祈っ
た結果であり、故郷に帰ろう
と荷造りを始めた。その時、
学友も費用が不足で困ってい
た。それが何と彼が手元に残
っていたお金の範囲内だった。
それを友人に差し出し、その
友人は必要備えられ、学びが
続けられる事になった。すべ
ての荷造りが終了し、最後に
1通の封書が残った。もう出
て行くので見る必要もなく、
もう見る気力もなく、立ち去
ろうとした時、友人が封書を
開けた。すると、何とそれは
振込通知だった。必要な額が
振り込まれていた。祈りは答
えられていた。大喜びで主の
御名を崇めた。この御言葉に
よると、祈りが答えられるの
は、「あなたがわたしにとど
まっているなら」の条件があ
り、「そうすれば、かなえら
れる」。つまり、逆に、祈り
が答えられるという事は、私
たちが主にとどまっていると
いう事になる。これは祈りが
答えられる事の喜びを、更に
大きくする。
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祈りが答えられた時、神様が
確かに、この事を祝福して下
さっているのだと知り喜びが
あふれる。答えは様々に来る
だろうが、神様にとどまって
いる限りどれも尊い御心だ。