2008年12月08日(月)

『サムエルは・・何も隠さなかった。エリは言った。「その方は主だ。主がみこころにかなうことをなさいますように」』Tサムエル3:18



祭司エリの息子たちは、よこしまな者で、誰かが献げるいけにえを、
肉刺しで取り上げ、自分のものとしていた。

人々が脂肪を焼いて煙にして、取るようにと言うと、今渡さなければ、
力づくで取ると、献げ物を侮り、主の前に大きな罪を犯していた。

息子達は父エリの言葉も聞く耳持たずであった。やがて主はサムエルに、
息子たちの裁きを告げられた。エリはサムエルにそれを話すように告げた。
サムエルからすべての事を聞いた時、エリはその裁きを受け入れた。

何の言い訳も弁解も無かった。妻のせいにし、子供のせいにし、責任転嫁して、
自分を正当化する事もなかった。
主からのものと受け取り、へりくだって、主に従おうとしている。

子育てに失敗はしたが、信仰の人であった。それゆえ、主はエリにサムエルの
養育を委ねられた。エリのその信仰が用いられた。

主の大きな恵みであった。アブラハムもイサクもヤコブも、モーセもダビデも
失敗した。人は弱さのゆえに失敗する。

しかし、失敗を通して、謙遜にされる。人は皆、高慢だ。その高慢が砕かれる。
いっぱしと思っていた自分が、どんなに惨めで、無力な者かを思い知らされる。
主はそんな砕かれた器を用いられる。
主は愛する者を懲らしめ、従順な者へと造り変え、造り上げられる。
-------------------
神様の前に失敗を隠さず、弱さに正直な自分でいよう。砕かれた者のうちにまた
神様の恵みも満ち溢れ、さらに頼りつつ歩む者に変えて行って下さる。