2009年01月07日(水)

「わたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます」マタイ11:29


くびきとは、板に穴が二つ開いていて、二頭の家畜を同じ方向へ進ませるものだ。
そのくびきを二頭につけると、二頭があっちこっちへ向かう事を防ぎ、人が御する事ができ、農作業に用いる事ができる。

「負いやすく」は「身体にフィットして快適、心地良いこと」だ。くびきはその穴にしっかり首を入れると、快適で心地良いが、それを嫌がって、じたばたすると、首が締め付けられる。自分の思い通りに、好きに、きままに歩もうとする者には、そのくびきは締め付けて、痛くて、辛くて、苦しいものとなる。

無ければよいもの、自分を阻むものでしかない。あなたにとって、くびきはどちらだろう。自分に与えられたくびきを受け入れる時、そのくびきはむしろ平安と主にある喜びをもたらしてくれる。

しかし、受け入れない時、それはあなたの首を絞める。ただ辛くて苦しいばかりだ。
受け入れられるよう祈ろう。

よく聞く話だ。人の十字架が良く見えて、自分のはみすぼらしくて、見栄えがしない。
あちこちと目移りする。捨てては次のを負うが、どれもしっくりこない。一番ピッタリのものを見つけたら、最初に捨てた十字架だったと。

それぞれのくびきをしっかり受け入れて、負わせて頂こう。もう一方は主イエスが負って下さっている。何という光栄。
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くびきを避けたい、逃げたい誘惑が来るが、主とともに負うくびきは平安だ。自我との戦いも主が助けて下さる。自分を捨て、主のくびきを負って真に豊かで、自由な者になろう。