2026年02月01日(日)

「・・その木は、いかにも好ましかった。それで女はその実 を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べ た」創世記3:6


エデンの園で、悪魔に誘惑され罪を犯したエバは、アダム
も罪に引き込んだ。罪を犯したアダムに、主は悔い改めの
機会を与えようとされ、「あなたは・・食べたのか」と問われ
た。「食べた」か「食べていない」の「はい」か「いいえ」の答
えになる。しかし、エバに責任転嫁し、言い訳をした。「この
女がくれたので、私は食べた」と。

つまり「私は悪くない。この女がくれなかったら、食べなかっ
た。だから、くれた女が悪い」その上「あなたが置いたあの
女」と主のせいにした。あなたが女を置いた、だからあなた
が悪い。自分は被害者となる。しかし、主が食べてはいけ
ないと命じられた。それを食べたのだから、どう弁解しようと、
自分の罪だ。「食べました。ごめんなさい」と悔い改める事
ができた。

しかし、認めない。私たちもどうだろう。罪を犯した時に、言
い訳をし出すなら、数限りなく出て来る。驚くばかりだ。人の
せいにするという、根深い肉の性質がある事をわきまえて
いよう。「女のせい」「主のせい」「相手のせい」「あの人、こ
の人のせい」「状況のせい」と。「私は悪くない」「私は疲れ
ていたのだ」のだと。しかし、それは紛れもなく「私の罪」だと
認めよう。

誰かがくれたとしても、食べたのは私だ。主の言葉に従い、
食べない選択もできた。拒否する事ができた。「私の罪」と
認める時に「御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよ
めます」赦しを受け取れる。「しかし、あなたが赦してくださる
からこそあなたは人に恐れられます」。主の血潮による
豊かな赦しを受け取れる。

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不都合が起きると、人のせい、状況のせいにしたくなる。自
分の罪だと認める事が難しい。しかし主を仰ぎ、とにかくあり
のままを祈ろう。弱さもご存じで、主のあわれみは尽きず、
御心へと導いて下さる。まず祈ろう。